不登校

登校拒否、不登校児をしていた時の生活と心の中

 

明けました2019年、いかがお過ごしでしょうか?
わたくしは年末年始をじっくり味わう事なくさらっと新年を迎えましたー!

 

さてさて、義務教育期間中トータルで約4年間ちょびっと完全な登校拒否をしていたたまですが学校に行っていない間、なにをし何を思いながら日々を過ごしていたのだい?と、ご興味がある人もいるかもしれまんので今回はそれについてお話させて頂きます。

たまが登校拒否・不登校児になるまで。そして進学先。沢山のブログの中から遊びにお出で下さりありがとうございます、たまでございます。 「登校拒否 不登校児でしたがにゃにか?!」...

 

でもまぁ、こうして約4年間ちょびっとと数字に表してみると

たま
たま
登校拒否年数、思っていた程長くないなぁ~~♪

 

 

目次にゃ

完全な不登校児になった小学生たまの生活は ほぼひきこもり生活

起床時間は朝9時以降

朝は家族全員が居なくなって家の中が空っぽになってから起床。特に母と顔を合わせると険悪になるのでそれを回避するため家の中が空っぽになった9時以降に起きてました。(我が家は共働き)そのためたまと家族間での「おはよう」や「おやすみなさい」などの挨拶を交わす習慣はこの時期から、はい、一切存在しなくなりました。

 

午前中は教育テレビ、昼食は自炊

まずとにかく家に人が居る(たまがいる)気配を殺す事を心がけ静かに12時まで2階でNHKの教育テレビをひたすらずぅぅぅぅと見て、お昼になったらそぉぉぉぉぉと1階に下りて電気を付けずにご飯タイム。

小学校に行かなくなったたまはお家なので当然お昼になっても自動的に給食は出てきません!お昼は自分で用意しなければならないのです。

が、

何分小学生!!

 

…お金なんてありません(涙)

お金がなければ何も買えません。なので毎日、台所付近を漁っては何かしらを調理して食べてました(笑) たまの為に何か材料が用意されているなんて甘い世界(家庭)ではなかったのでよく具なし茶わん蒸しを作って笑っていいともを小音で見ながら食べてましたよ(笑)

で、13時になったらTBSの昼ドラ見てました(笑)「花王 愛の劇場」のフレーズが今でも耳に残っております…ふと思い出した、うわぁ懐かしい…。

あ!そうそう!天までとどけ、大好き!五つ子、温泉へ行こう、ぽっかぽか、キッズ・ウォーなんかが好きで見てました見てましたぁぁー!

 

あの~、まだ全然インターネットが一般家庭に普及していない時代だったのでTVを良く見ていたっぽいです。あとは転校した前の学校のお友達と文通をしていたのでお手紙書いたり~、あと漫画読んだり~、それから漫画読んだり~、漫画読んだり~・・・漫画しか読んでないですね(笑)

 

稀に外出

本当に稀に外出してました。月イチの楽しみりぼんを買いに商店街の本屋さんへ行くのですがこれが勇気がいるんです。学校に行っている時間帯に子供が1人で本屋さんに現れるもんだからお店のおばちゃんに怪訝な顔をされるされる(苦笑) レジで「学校は?」って聞かれたのを思い出します。でもたまはなんて答えたのか…覚えていません(汗)

そして同じく不登校児だった同級生のUちゃんと時々遊んだり。もちろん下校時間前には帰宅してました。だって同級生に会いたくないものっっっ。

 

 

夕方は2階に避難

母が帰宅する時間になると2階へ避難していました。というのも、我が家はご近所付き合いが活発だったので母が帰宅すると昔ながらの玄関のカギは開けっぱ状態に変貌を遂げるからです。たましか居ない時はそれはそれは固く閉ざされた玄関なんですけどね…ふふ。

 

 

家のお掃除

これは母が休みの日の日中のコースで、強制で家のお掃除をする流れになってました。

 

 

いやぁしかし、小学生にして堕落した引きこもりフリーターみたいな生活ですね(笑)!と、まぁだいたいこんな感じで過ごしてました。

 

 

 

登校拒否・不登校時の気持ち

こんな腑抜けた生活を送りながらも心の中に常にあった気持ちは

 

死んだら楽になれるんだろうなぁ。

 

部屋で仰向けになった窓から空を眺めてはよくそんな事を考えていました。

 

たまの存在をまるまる受け止めてくれる人や場所はどこにもなく心はいつも孤独。そのうち 自分は生きてる価値なんてない、生きること自体なんの意味があるのか分からなくなっていき、一般世間の道を踏み外した自分には明るい将来なんて無い、この先も暗闇しかまっていない。

そんな気持ちに支配されていました。

小学生のたまにはまだ自分で「大丈夫」なんて思える力は微塵もありませんでした。

 

こんな風に思う様になったのもそれだけ学校に行かない事は悪い事だという風潮が世間にがっつり根付いていたからです。

 

日本人ってとにかく「普通」や「皆と同じ」のフレーズが大好き。大多数が支持したり賛同したり選択しているグループに我が身を置き属することで、皆と一緒だから大丈夫!と謎の心理により安心を得る。

 

それを象徴する言葉が、赤信号みんなで渡れば怖くない!なのかなーと思います。

 

例え間違っている事だと気付いていたとしても集団になることで責任が分散され軽くなるため(気持ち的に)、人を傷付ける事だったとしても皆やってるし~と、軽率な言動を簡単にとってしまう悲しき性なのでしょう、きっと。

 

おっと、話を戻しましてー(笑)

先程の安心についてですが、この安心というのは安定と言い換えた方がわかりやすいですかね。つまりこの場合

 

義務教育

高等学校

大学

就職

定年

老後

 

これですこれ!これがまさに大多数の日本人が理想とする幸せの形。

 

問題なくこのレールに乗っかっていれば安心・安全・安定、勝ち組。このレールを重視している方からするとレールから脱線した人間は脱落者。

 

なので少数派ルートへ突入したたまのような奴に対し大抵の世間様は「あらあら、そんなんじゃまともな人生送れないだろうに可哀想」といった類の感情を非言語で浴びせてくる訳です。実際に言葉にする人もいましたけどね。

 

そら子供は素直にまんま受け取って「自分はダメなんだ」って思い込みますわ!って話です。

 

当時を振り返ってみて今思うのは

傍からみればぐうたらで何も考えていないお気楽なニート生活を送っているようにしか見えない登校拒否時のたまの生活ですが、本人は先が見えない暗闇の中、不安で不安で苦しくて仕方がありませんでした。

誰かに相談するなんて考えも浮かびませんでしたし、相談する相手なんていなかった。

 

今思えばこのような感情を抱いていたこと、信頼し頼れる人間がいなかったこと苦しいを苦しいと、当時のたまはちゃんと認識すらできていなかったように思います。

大人になった今になってから過去の自分の気持ちに気付いた…そんな感じです。

 

 

てな事で、今回は不登校時のたまが具体的にどんな生活を送っていたのか又、実際どのような気持ちでいたのかをお届けしてまいりましたが、いかがだったでしょーかーーー?!

 

 

暗いわっっっ!!!

 

って?!

 

あはは、そーね!!
新年早々 暗い内容だったかもしれませんな(笑)!!

 

でもほら、心身ともにごくごく正常な過程を経てる人からしたら、たまのような人に対して「どんな感じなの?」と単純にプチ疑問を抱いている人もいるかもですし、あと検索とかでたまたまいらっしゃった親御さんとか、ね。

 

こんな感じの内容ではありますが、実際の体験談や当時の思いをこれからも綴りここへ辿り着いたどなたかの今とリンクして、今のたまを知ってもらい、何か通ずるものや感じてもらえるものがあったらいいなぁと思ってます★

 

たま
たま
ではでは、また来てねぇ~♪
プロフィール 初めまして 先ずは簡単な自己紹介 名をなんと申す ねこのたまと申します 性別は 生まれた時からメスでござ...