沢山のブログの中から遊びにお出で下さりありがとうございます、たまでございます。
「登校拒否 不登校児でしたがにゃにか?!」とブログ名にもなっております通りたまは生粋の不登校児でしたーー!
不登校児
学校に不安・恐怖を感じる何らかの心理的理由や、本人を取り巻く家庭・学校・地域社会の状況などさまざまな要因が重なって、児童・生徒が学校に行かない状態。何らかの理由で積極的に登校しないことを選択する場合もあるが、心理的抵抗感から登校しない場合が多い。登校拒否。
今回はたまがどの様な過程を辿って登校拒否・不登校児へとなり義務教育後はどうしたのかまでを思い出せる範囲で順を追いつつ当時のエピソードと共にお届けしてまいります★
あ、ウルトラ長文です
目次にゃ
園児時代
まず冒頭で“生粋の不登校児でした”と言い放ちましたが一体どう生粋なのか。そちらからお話し致しましょう。
不登校の前段階、幼児期に既に拒否反応が発症しておりました。はい!正解っ!不登校ならぬ
不登園
でございますっ。
不登校は耳にする機会も多々あると思いますが幼稚園や保育園の場合は不登園と言います。でも正確には完全な不登園ではなく「気味」なだけだったんですけどね。
集団行動・集団生活・集団教育と集団と名の付くものが幼き頃からとことんダメだったみたいです(笑)
だってですよ、たまの中で思い出せる幼稚園での記憶ってアレとアレだけなんですもの!
通園バスから降りて教室へ向かう途中、園内の中庭の壁から顔半分だけ出して入りたくない教室を遠くからじぃぃぃぃと見つめ様子を窺う。もう全然足が動かないのです、入るのが嫌すぎて。
お弁当に不味くて苦手なおかずが2日連ちゃんで入っていて1日目は頑張って食べたが2日目は「でがすべった」とわざと落として食べれなくした。
これだけです。
あとはな~~~~~にも思い出せません。写っている自分の写真を見ても当時の事な~~~~~~~にも思い出せません。とことんダメだったからなのか幼稚園に関する記憶データをほぼ抹消したっぽいです。
という訳でこの段階で早々に拒否反応が見事に発症しておりました。
実はたま卒園前に父の仕事の関係でお引越しをしたのでこの後は保育園にもお世話になり1年程通いました。保育園での記憶は幼稚園の時よりも若干あるので保育園の方が楽しかったのかもしれません。
といっても強烈に残っているのは…
発熱して母に迎えに来てもらうまで教室で1人まだ完成していなかった“わたしの将来の夢(おえかき)”を朦朧とするなか黙々とテーブルで描いていたことと、給食でどぉぉぉぉぉしても食べれない野菜が出てきて頑張るけどやっぱりムリで、でも残す事が許されずで…終いにゃ先生に
と言われ、廊下に机と椅子とたまの3点セットを出されて、皆がお昼寝するなか薄暗ぁぁぁい廊下でずぅぅぅぅっとお野菜とにらめっこしていたことくらいです。
あれ、全然楽しくない記憶じゃんか(笑)
いや、そんな事ないぞ!餃子包んだり、イベントでお店屋さんごっこしたり、お遊戯会でアラジンと魔法のランプで宝石役やったりと幼稚園の時と比べたらホラ結構覚えているわよ、どーよぉ!
小学生時代
今思うと一番こどもらしく過ごしていたのが小学1年生〜3年生の3年間で素直に楽しかったと言える唯一の学生時代だったかもしれません。
そんな小学校へ入学する前のとある日。
親戚のおばちゃんが髪を切って変身した姿を見てムチャクチャ羨ましくなったたまは私も髪切りたい!と言い出し美容院へ。素敵なヘアスタイルにチェ〜ンジ♪
する筈だったのですが…何故だ、出来上がったのは
河童ヘア!!!!
鏡に映るその姿はたまが想像していた髪型とはかけ離れすぎの髪短すぎの河童ヘア……!
愕然とし
怒りと
悲しみと
絶望の涙
が止まらぬ数日を過ごし、やって来ました入学式当日。
集合写真には見事な河童ヘアで写るハメとなり今見ても表情が死んでいます。あっはは。当時の自分は絶望しかなかったですが今やオモロ…いや、いい思い出です(笑)
絶望から始まった小学校生活でしたが、
河童ヘアのたまにも友達ができて、好きな男のコ小林くんもできて、夏休みはラジオ体操に励みスタンプを頑張って集め、夜は近所の開けた駐車場に友達と集まり毎夜上がる西武遊園地の花火を見たり、運動会はいつも緑軍だったので緑色に愛着が湧き緑色を好きになったり、ついでに我が家は共働きだったので学童にも通いそこでは沢山の遊びを教えてもらったりと楽しかった思い出がいっぱいです♪
そんな楽しい中にでもひょっこり顔を出す「学校行きたくない病」。
行きたくない時はひたすら行きたくないので踏ん張ってグズる訳ですが、母からしたら仕事あるし時間ないし娘学校行かないって言うしで、最終的には力尽くの強行手段に出るしかない構図が生まれ
力いっぱい腕を引っ張る母
VS
全身全霊で踏ん張る娘
のゴングが鳴り響きます!!
その結果一度たまの肩が脱臼するなんて事がありました。やった事ある方わかると思いますがあれね痛いのよねぇぇぇぇ。
また別の日には朝、担任の先生が家へやって来て車で強制連行されたり…。
分かります?安全地帯のはずの我が家の中にしかも朝に担任の先生がババン!と現れるあの恐怖!!
子供に拒否権はないと言わんばかりの大人達の笑顔の圧力!あの時初めて親を恨みました(笑) 敵なのか、と(笑)あれは正に裏切りの何者でもないと娘は心底思いましたよ。
こんな感じで送っていた前半の小学校生活でしたが、ここでまたお引越しする事となり4年生からは新たな小学校へ通う事となりました。
ここからいよいよ本格的な不登校児へとたまは進化を遂げていきます。
転校した小学校でもすんなり友達は出来ました。
初めのうちは特に大波が立つ事もなく学校生活は至って順調。表面的には…。
しかしたまの中では次第に学校という枠組みが檻の中に思えはじめ窮屈で息苦しいだけの場所となっていきました。
今、学校という空間を思い返しただけでも眉間にシワが寄ります(笑) そんな風に思い始めたきっかけは腐るほどたくさんあって、
例えば…
- 道徳の時間に「今読んだこの物語の主人公はこの時どんな気持ちだったと思いますか?」みたいな設問に対し担任にさされたので、たまなりに思った事を言ったら
「違う」だか「意味が分からない」だか言われ、小4の小娘たまの心に非常にグサッと刺さる返答をされ意見を全否定。バッサリ切られました。数名の答えを聞いた後彼女は持っていた先生用の教科書に赤字で書かれた正しい答えを披露。たまこの時間は何?意味なくないこの授業。と非常に違和感と先生に対し強い不信感を抱きました。確かにたまアホだからアホな事言ったのかもしれないけど、もっと言い方とかあると思うのですよね。
- またこちらはだいぶ学校に対してこじらせ始めた頃。
と約束させられたので無理やり頑張って行き約束を無事果たしたので、担任に気分も悪いから帰りたい旨を伝え親に連絡を取ってもらったが、(下校時間外なので学校側としては一人で帰らせる訳にはいかない) 職員室から教室へ戻ってきた担任は生徒全員がいる教室でたまに向ってこう叫びました。
それも感情むき出しで。たまは目が点に…。大人は約束を簡単に破る生き物だとインプットしました。
親が迎えに来る前にたまは一人で帰りました。そんな雰囲気の教室に居れる訳もなく、いきなり怒鳴られ意味がわからず泣きながら帰りました。
担任が放った「あなたのわがままのせい」には担任なりに感じた事があったようで後日、学校側から親経由で事実確認(?)をされました。
担任の意見はこうです。
気分が悪いから帰りたいは嘘じゃないか。
その理由が“親に連絡を入れるから(子供を学校に迎えに来てくださいコール)”とたまに言った瞬間たまが“ニヤリと笑った”ので、気分が悪いは嘘だと判断したと言うのです。事実確認とは“二ヤリと笑った”かどうかでした。
はっきり言おう
えっと、たまは学校が大っっっ嫌いなんです!!その大っ嫌いな匂いのする所にずっと居るのはかなり精神的に厳しくソコから抜け出せる手段に辿り着けたら(このケースだと親に迎え来てもらう)ホッとして表情緩みませんか?
それを、したり顔と受け止められてしまったなら受け取り側の解釈の問題なのでたまにはどうする事もできないです。「二ヤリとしていないと」たまが答えたとしても彼女にとっての事実は変わらないでしょうから。
当時小学4年生にこんな風に思わせる人間が先生でしかも担任だなんて最悪だとしか思えませんでした。
でもきっと担任からしたらたまは単なる迷惑なわがまま問題児でただでさえ忙しく30人以上いる子供達を1人で見なきゃいけないのにこれ以上余計な仕事を増やしてくれるな!輪を乱してくれるな!
という事だったんでしょう。放って置きたいが自分が受け持つクラスの生徒だからそれも許されない。
板挟みの立場の先生にとってたまの存在は厄介で精神的にも追い込んでくる悪魔に見えていたかもしれませんね…。
他にも多々色んな要素がありますが大体こんな材料たちが積み重なって小学4年生中頃から徐々に不登校児へとなっていきました。
その間も家では家で学校に行かせなければいけないと思う母と毎朝格闘の日々。布団たたきを持て追いかけ回された記憶が蘇ります(笑)

不登校中の小5・小6は学校側から促され仕方なく憂鬱を背負ってたまぁぁぁぁに登校するのですが、当然教室になんか行けるはずもなく向かうのは保健室でした。
いわゆる「保健室登校」というやつです。
その時すでに仲良くなっていた遊び友達であり不登校仲間でもあった同級生の女の子Uちゃん。彼女と一緒に時々保健室登校をしていました。なんで学校に来なきゃいけないのかまったく意味が分からない!!と思いながら(笑)
中学生時代
やっと小学校を卒業したと思ったらお次は中学校です。
1年生の1学期は時々休みながらもなんとか頑張って通っていましたが夏休みに入り明けた新学期からはもう無理です。行く気ゼロです。暗雲がモクモクです。
ここでも立場上学校に来させたい完全なる学校&世間サイドの人間、学年主任・担任ペアとの無意味なバトルが繰り広げられます。どんどんどん ぱふぅ~ぱふぅ~♪
家まで押しかけられ、来たくないが仕方なく来たオーラ全開で(主に学年主任のおっさんが)「学校に来ないお前はおかしい」というような言葉を並べられうんざり。(主に学年主任のおっさんが)
…放って置いてほしいのに放って置いてくれない…。
なんでこうも放って置いてくれないのか、答えは簡単。
法律で定められた義務教育だから。
とどのつまり
義務に逆らう奴はおかしい、それを本来あるべき姿に正すのが(めんどうだが)正解。皆当たり前にやっている事なのだから出来ないはずがないだろう。ただ怠けているだけだ。迷惑をかけてくれるな。
という事だ。
これらの言葉をストレートに言われた訳ではないが言葉の端々&雰囲気からこの様な感情がだだ漏れ状態でしたし、たまに向ける目は完全に敵意むき出しでした。
学校や世間はみんなと同じことが出来ない奴には落ちこぼれのレッテルをペタっと張り付けるのが好きなんでしょうね~。
残りの2年生、3年生は当たり前ですがほぼ学校に行きませんでした。
ですが本人の意思と反して無理やり登校させられたりする日があったりして、その際の休み時間には他クラスから生徒が見物に来たりして
という事も学んだりしました。とても貴重な体験でござーました。
中学3年生の後半にはとうとう教頭先生までがお出ましになり
と自宅に車で迎えに来られた時はビックリ。断るのが申し訳なく演歌が流れる車中にお邪魔し、ソロ~っとサーカスをのぞき見させてもらったのは良い思い出です。教頭先生は優しかった♪
そして中学もとりあえず卒業。
殺伐とした暗黒の義務教育期間がよ~~~うやく終わりました。
高校生時代
たまはてんで高校へ行く気はありませんでした。ですが「高校まではお願いだから出ておいてくれ」と母に言われ仕方なしに進学することにしました。
全日制なんてもちろんたまには無理です。そこで提案されたのが通信制の高校。通信制高校って?と思われる方多いと思います。当時の自身がそうでしたように。
たまが実際に行った通信制高校はおおまかにこのような感じでした。
通信制高校の基本とルール
R(レポート)
S(スクーリング)
T(テスト)の3つが基本。
- 登校は週1回のスクーリング(日・月・火のいずれかを選択)
- 学習スタイルは家庭などにおける自学自習が中心。
- 教科書・学習書を中心に学習し報告課題(レポート)を提出。●レポート1通平均7・8ページ●1科目年間10通程度
●1年次では合計58通
●提出されたレポートは先生が添削指導をし不十分なレポートは再提出を求められます。
いやぁー、通信制は実にたまに合っていました。とは言えとっっっても大変でしたよ卒業するまでの道のりは。高校生活が楽しかったわけでもないですし。
単純にシステムがたまには合っていたのです。
一言で言うと全てが
自分次第
自由
フリーダムです。
あれ、三言になっちゃった(笑)
やる事は上記の事柄ですが強制ではありません。登校してるのに授業に出なくてもテストを受けなくてもましてや学校に行かなくなったとしても先生達は誰もなぁぁぁぁぁぁんにも言いません。たんに
単位落とす→進級できない→留年→卒業延びる
となり困るのは他の誰でもない、己です。
卒業したい人はソレに向けて各々年間スケジュールを立て管理してやってね、というルールです。全て自己責任、あらシンプルですっきり♪
たまは全日の高校に通っていないので分からないのですが全日の場合は学校に行かなかったり登校しても授業に出なかったりテストを受けなかったりしたらやはり先生に指導されるのでしょうか?義務教育でもなんでもない高校だったとしても。はて???
とまぁ自由度高めの通信制ですが締めるところはきっちり締められております。
それは授業。出席授業の遅刻は厳禁です。
どれだけ厳禁だったかといいますと、1秒でも遅れる事は許されず如何なる理由があろうとも絶対に途中からの参加は認められません。
特に体育は時間になったら入って来れないように体育館の扉を閉めてました(笑) はじめ「そこまでするのかー!!」と仰天ものでありましたが、過去に幾度となくしれっと途中から参加した人達がいたんですかね?じゃないといちいち扉閉めたりしないですよね(汗)
現に、そんな事(しれっと途中参加)余裕しゃくしゃくでやらかすぜ~!!てな雰囲気の人種がわんさかいる感じでしたからね~あの学校。昔から在籍していた人種はそう変わらなさそうですし。
通信制高校へ通う人ってどんな人達?学校の雰囲気は?
メイン的には、声がでかくて小汚い顔黒ギャルとJK制服に身を包んだえせギャルと下品で小汚い顔黒ギャル男達がひしめき合ってました。
…ここは猿山か?という位、自習室は特にやかましかったです。もはや自習室ではく自由ルームか憩いの場と化してました、はい(笑)
ギャル&ギャル男が占めてる割合が高かったのに授業を一緒に受けてた記憶が後半になるにつれて殆どないのだが……えー、まー、そーいう事ですな。それに途中で学校からいなくなっても新たに転入・編入してくるギャル達皆同じ顔(メイク)だったので入れ替わっててもまったく気付かないですね。
一応申しておきますが、通信教育なので学校には幅広い年齢層の方がおりました。
高卒の資格を取得していない人がそれを得るための場なので、普通の高校とは違い16~18歳の若い人だけではなく20代は勿論、中年の方やご年配の方主婦と思しき方等々さまざまな方がいらっしゃいました。
同じクラスには車椅子でお母さんにサポートしてもらいながら通ってる方もいらしたし。この方とは言葉を交わしたことはなかったですがその姿を目にする度に自分も頑張らなきゃと勝手にパワーを頂いてましたね。
言葉はよくありませんが、通信制にはまず普通の人は来ません。
ありとあらゆる色んなパターンの事情を抱えた人達ばかりが集まる場所です。なので雰囲気も独特かと思います。
通信制高校のレポートとは
さて、この高校生活でした苦労の1つと言えば、各科目のレーポートたち!!!
週1のスクーリングに登校して~
授業の必要時間数を満たして~
中間・期末テストを受けて~
赤点を取らなければ進級~~♪
なんてシステムではなくこれプラス大量のレポート提出があります。
ここでのレポートとは大学のレポートみたいな自作の文章を綴るといったものではなくわかりやすく例えるなら…そう!学習ドリルみたいなやつです!スクーリング授業に出た後にやる復習ドリルといった感じで授業内容を理解していれば基本出来る作りになってます。
が、しかし。このレポートが大変!!
1日でもさぼるとあっという間に溜まる溜まる。地道に消化していかないとヤバい事になるのです。毎週毎週毎週毎週…科目毎に延々と提出し続けなければならぬレポート。
レポートは先生が添削した後、郵送で自宅に送り返されて来るのですが
再提出 or 完了
のハンコが押されております。
内容が1つでも不十分な場合は容赦なく再提出ハンコです!
「完了」ハンコが押されるまでこのやり取りが延々に続きます。
たとえそれが再再再再再提出になろうとも!!!!!
…たまはどうも科学が苦手だったようで科学のレポートが幾度となく再提出となり再再再再再提出になりました!この時は職員室へ赴き先生に教わりに行きましたさ(泣) 永遠に完了にならないと思って。
通信制高校はラクだと勘違いされやすい
そして、こちらもなかなか苦労した事。
理解してもらえなかったのが当時のバイト先の喫茶店。
通信制がどんなものか説明した上で採用されたはずが…
うーん、日本語が通じなかったみたいです。
と都合のいい所だけ切り取られ希望シフトを出しても希望していない日にまで勝手にシフトを組まれる始末。朝番・夜番問わず週6当たり前、ヘタすると10数連勤とか。
たまは暇人でもフリーターでもなく高校生なんだけどこの人頭オカシイのかな?
と思いました。おかげで学習時間が削られレポートはなかなか消化できず地獄を味わいました。
人間、自身が経験していない事は未知で分からないから大変さなんて一切理解できないし通じないですよね。って事をここでは学びました。
通信制高校は立派な手段。落ちこぼれが集まる場所では無い。
学校では学校で、出来た友達の中には「学校さぼってカラオケ行こー♪」とか「だるいから遊びに行こ!」と言う子もいましたがお好きにどーぞです。たまは行きません。
周囲がどうであれ自分のすべき事を見失っては本末転倒です。
途中、同中の同級生の女の子が3人ほど全日から編入してきたのですがそのうちの1人がたまに向かって
と言ってきました。
それをたまに言ってどうするんですかね?“なら休めば良かったじゃん”と内心で思いつつも阿呆らしかったので無視しました。
きっと彼女は自分より遥か下にいるたまと同じ高校に来てしまった事実が嫌でしょうがなかったんでしょう。元から親しくもなかったので当時彼女にどんな事情があったのかはわかりませんが、そんな事を言われる筋合いもないですし、そもそも
です。
また、その3人の内の1人の女の子は編入前にたまのうちのポストに手紙を入れてきました。内容は
との事。
たまはその申し出を受け入れしばらく登校時や学校にて色々とサポートをしました。
次第に彼女も環境や学校のシステムに慣れ友達もでき始めた頃たまは用済みになったらしくあっさり離れていきました。去る者は追いません、めんどくさいので(笑)
です。
そんな沢山の試練(?)を越えたまは無事に4年間で卒業しました♪
不思議だ~進研ゼミは全然だめだったのに(笑)
入学した時たまのクラスは約40人程いたと思うのですが卒業式の集合写真撮影では4クラス程をひとまとめにギュっとしてやっと30人弱といったものになっていました。
この卒業率の低さ…、
いかに己との闘いかお分かり頂けるとおもいます(笑)
あ、車椅子のあの男の子も集合写真の時に居て共に卒業できました!バンザーイ!
この様な経緯から間違っても
「学生時代が一番気楽で楽しかったー戻りたいわー」
などど1ミリも思わないです。
この言葉をふと耳にした時、この人は学校が楽しくて仕方なかったのか、そうか凄いな!!と尊敬の眼差しになります。その人からしたら「普通の事でしょ?」と思うでしょうが、たまには出来なかったことなので心の底から凄いと思ってしまうのです。
もし、いま目の前に目ん玉がおっ潰れそうなくらいの絶世の美女・たま好みの女神さまがファ~と現れて「幼少期に戻れるチャンスをあ・げ・る」とウルウルの瞳で誘惑されたとしても残ったわずかな理性をふり絞って
と声を大にしてお断りします!
おねぇさんに悲しい顔をされたらそりゃ良心が痛みますが・・・ここは心を鬼にしてお断りします!!!
現状のたまのままで(中身が)戻れるならはりきって戻っちゃうけど、当時の自分のままの状況にただ戻るだけなら断固お断りです。
不登校理由
ここまでお読み頂いたならもうお分かりかと存じます。
今思えばですが、たまの不登校理由は
★強制
★既成概念
★型にはめる
★不信感
★人の身勝手さ
など、学校や人(先生)に対する拒否反応からきていたと思われます。
一般的な不登校イメージはきっといじめとかなのでしょうが「不登校の理由」となるとどちらかというといじめ問題より精神的な事が理由になっているケースの方が多いと思います。
現にたま以外にも小・中と不登校児は数名いましたが原因はいじめではなかった様子です。
もちろんイメージ通りいじめによって傷付き苦しみ通えないケースの人も沢山いらっしゃる事と思います。
いずれにせよ家庭環境や学校環境、そしてその子の性格を見極めた接し方が必要です。(学校に行かせるためのではなく)言うまでもなく1人1人その接し方は異なります。
拒否反応=自己防衛
振り返ってみるとたま自身はそう思います。
この苦しい時期、本当の味方が、どんな時でも自分の味方でいてくれる絶対的な存在が在るのとないのでは雲泥の差があります。ただ難しいのは
その存在が表面上にただ「在る」だけではダメだという事。
でも大概はその表面上、もしくは残念ですがそれすら無い事の方が殆どかもしれません…。
こちらについては長くなってしまいますのでまた別の機会にお話しさせて頂きたく思います。
こんだけエピソード綴っておいてなんですが、実はまだ経緯を端折っている所がぼちぼちあります(笑)
この間にも児童相談所とかなんちゃら学校とか(覚えていない)連れて行かれたり、カウンセリングを受けたり…何か色々ありました(笑)
最後に
精神的理由・いじめ・その他理由や事情により学校へ行けない・行きたくない、その事で罪悪感を抱き自己嫌悪に陥り自分はダメな人間だ、生きていてもしょうがないと今思っている人。
大丈夫です。
全然大丈夫なんかじゃない!と突っ込まれそうですが、大丈夫です。
たまはその道歩いてきました♪いや、這いずってきましたノロノロと(笑)
今があなたにとってそのような時期なだけです。
周囲と比較して思い詰め過ぎて視野が狭くなちゃうのも分かります。
もし誰から不要の様な事を言われたとしてもその言葉、はたして
その人に言える権利はどこにあるのでしょうか?
たとえそれが身内だったとしてもですよ。赤の他人なら尚更です。
言った本人だけが自分の方が立場が上だと勝手に勘違いしているだけです。
鵜呑みにしてわざわざ相手のために傷付いてやる必要なんてありません。
ましてや学校が全てではありません。
現役の学生さん特に義務教育中の学生さんにとっては学校が自分の世界の大半を占めるので現在・未来が暗闇のように思えるかもしれませんが、学校に行かない選択肢もあります。
はっきり言って学校へ行かなくても生きて行けます。
現にたまは今生きています!ふん!
人生どうにかなりますし、どうにかするしかないのです自分で。
たまは学校に行かない道を選んで良かったと心底思ってます。
「だから同じようにしたら?」とは言いません。
行きたいのに行けないのであれば、その問題を解決する方法を見つけ出すか、別の方法に切り替えるしかないし
行きたくないのに行かなければならないと苦しんでいるのだとしたら、自分が壊れてしまう前に逃げて下さい。自分の命がどうでもいいようになってしまってからでは遅いです。
周囲がどうであろうとそこまでして
居る必要のない世界です。命より大事な学校なんて存在しません、思い込みです、脳のバグです。
勉強??
そんなものいくらでも自分でできます。
方法は腐るほどあるじゃないですか今の時代!
友達??
本当に友達と言える人にはなかなか出会えません。本当の友達と出会えないで人生終わる人の方が圧倒的に多いのではないかとすら思ってます。
人間皆、最終的には自分が一番可愛い生き物です。
表面的にはいくらでも友達は出来ますがあまり他人に期待はし過ぎない方がいいと思います。冷めた言葉でごめんなさい(汗)
青春??
学生時代に わいわい きゃっきゃ するばかりが青春ではないです。言葉通りに受け止めればそうでしょうが、自分が幾つであろうと楽しくキラキラ充実している時を人生の中で刻む事を青春とすればよいのではないでしょうか?
小・中学生にはイメージしにくくてピンと来ないかもしれませんが
学生期間より圧倒的に卒業後の人生の方が長いのですよ。
今や学校に行ってなかった事実は過去となり「たま不登校児だったよー」と言う機会があっても周りは「へー!そーなんだ」で終わりです。そんなもんです。
騒ぐのはその時だけ。その時は本人にとって永遠に感じるくらいホント長いんですけどね(汗)
確実に今は過去になります。
過去になった時、今苦しい思いでいるその思いはいつか役に立ちます。
今後似たような思いをして苦しんでいる人に大丈夫をあげられます。
全部の痛みを分かってあげることは不可能ですが、少なくとも経験者にしか理解できない特有の孤独や不安や悲しみや痛みがある事は確かです。
人生は1度きり。
誰かの望む人生や世間体や他人の目や常識ではく自分が望む自分で生きた方がお得だとたまは考えます。だって自分の人生だもの♪
他人の普通・一般的な普通が自分の普通とは限らない。正解なんてない、最終的に自分が幸せになれれば良いのさ♪(周囲の人がどうでもいいとかの意ではないですよ)
自分と対話して「自分がどうしたいのか」自分の声に耳を傾けて聴いてあげて下さい。建前ではなく「本音」をです。
難しければ逆もありだと思います。「なにをやりたくないのか」を知るのも手だと思います。
自分で自分を幸せにしてあげなくてどーする!ですよ♪
たまもまだまだその道中、焦らずお気楽に楽しみながら互いに歩を進めましょ♪
ではまた次回お会いしましょう♪
